死兆星の呼び声




公爵令嬢様、ヴィンス閣下の御息女様、レディ・鴇子。私はよくこのように呼ばれる。レディ・鴇子は名前が入っているからまだ許容できるとして、公爵令嬢様〜なんて酷いものだ。きっと、お偉いさんの娘としか認識していないのだろう。このような面倒なしきたりは貴族の子供なら皆経験していることだろうが、大人になれば更に面倒なことがある。男と女、家と家が結ばれる一大行事。そう、結婚だ。
恋愛に興味がない訳ではない。劇で見るようなラブロマンスだって好きだ。しかし、貴族の結婚は見合い結婚が殆どである。家同士の地位も重要。例えば、公爵令嬢の私が労働者階級の男性に恋をしたとしよう。その恋が報われる可能性はゼロに等しい。

「そんなに不機嫌そうな顔しないの。この家に泥を塗るような真似はしないこと。貴方は公爵令嬢なのよ」
「はい、お母様」

見栄を張るために調子に乗って、馬から落ちた馬鹿女は偉そうに言った。泥を塗ったのはお前だろうと声を大にして言いたい。下半身不随になったのを病気のせいだと偽って、挙句の果てには父親譲りのブルネットを持つ私に嫉妬しているのか意地悪ばかり。父さんに呆れられても懲りずに兄と家のことに口出ししている。
私にこの家から出ていって欲しいのだろう、いや、私としても本望だが、彼女は十四歳の子供の婚約者探しにご執心のようだ。今回のパーティでも足が削れて無くなるのかと思う程ダンスレッスンを強制させられた。足裏の痛みに耐えられずカウントを無視してよろめけば、宛てがわれた教師に無慈悲にケインで叩かれる。おかげでダンスは上達したが、肌は赤く腫れてしまった。実際十四歳のダンスなんてお試し程度のものだ。こんなに熱心にやる必要は無いのだが、周りからどう見られるかということしか気にしていないあの女には関係ないらしい。

まともに動けないあの女がいないというのはなんて気楽なことのだろう。お父様の御友人に挨拶をしてボーイからドリンクを受け取る。大広間に設けられたたくさんのシャンデリアが眩しい。息苦しい人混みから逃げるようにバルコニーに駆け込めば星の天井に見下ろされる。こんなところをあの女に見られたらまたしつこく叱責されるだろうが、今彼女はいない。優しい光を放つ空の下、いつか本で読んだ星座を指でなぞっていると、閉めていたはずのバルコニーの扉が軋んだ音を立てて開いた。

「……失礼」

この国には本当の王子がいるため彼に失礼かもしれないが、物語の王子様のようなブロンドだと思った。彼は冷たい目で私を捉えると、表情を一瞬で愛想笑いにすり替え、くるりと体を反転させて再びバルコニーの扉に手をかけた。思わず彼の手を掴む。

「待って。私は鴇子。貴方のお名前を教えていただけないかしら」

女性から男性に触れるのは勿論はしたないことである。それも初対面の方に。だが彼のその表情の変化を見てしまえばそうせずにはいられなかった。パーティ会場に山ほどいた、公爵令嬢の私を見て媚びへつらう人達とは違う。苗字を名乗ることも忘れてそういえば、彼は私に向き直って手のひらにキスを落とした。

「レディー・鴇子、お会いできて光栄です。私はディオ・ブランドー。ジョースター家の── ──」
「よしてよ、そんなに畏まらないで。ええっと……その、堅苦しいのは嫌いなのよ。ここには他に誰もいないし呼び捨てで構わないわ」

目を丸くしたまま何も言わなくなった彼に焦っていると、彼が私の横の手すりに寄りかかった。きっと彼は生まれつきの貴族ではないのだろうと、私はこの辺りで気づき始めていた。

「無礼なことを言ってしまってごめんなさい、私の我儘で……」
「いや、君みたいなことを言ってきた女性は初めてだよ。ちょっと面白いなあと思ってね。堅苦しいことが嫌いなんて、一流貴族として生きるのは大変だろう?」
「……!ええ!私の母はもう婚約者を探し始めているの。お稽古ばかりでティータイムもまともに取れないわ」

貴族らしからぬことを言った私のことを受け入れてくれたような気がした。彼のお友達のことや私の母の愚痴などで盛り上がった。この子供だけの小さな夜会で、私はディオ・ブランドーという男に恋をしたのだ。
一方で彼は一切自分の家の話はしなかった。ブランドーという性についても、彼に関わりがあるというジョースター家のこについても。特別追求することはしなかったが気がかりではあった。

 「称号なんてただの飾りでしかないわ。大事なのは飾りじゃない。中身よ」

そう言えば、彼は否定もせず肯定もせずただ私を見て微笑んだ。それだけでも私は安堵に近い喜びを感じられた。
そこで彼が斬新で意外な考え方をしていることも知った。貴族としてのあり方、女性の社会進出、歴史、政治、経済。父が議院の重々しい雰囲気の中で話し合っている話題なのかと思うほど難しくて理解に苦しむ話もしてくれた。なんの返事もできずぽかんとしている私を見て彼はバカにしたように笑った。それに怒って言い返してもひらりと話題を替えて誤魔化されてしまう。それから執事に呼ばれるまで、私たちはバルコニーでのひとときを楽しんだ。

それから数年間交際して、私たちは婚約した。やはり彼は生まれつきの貴族ではなく、ジョースター家の養子で貧民街出身だったらしい。どこからそのことを聞きつけたのか、あの女がしつこく身分について騒ぐので、婚約する頃私は既に女学校を卒業してしまっていた。父様と兄様が優しい人間でよかった。なぜ父様が母様と結婚したのかが気になって仕方ない。
貧民街育ちの彼の作法やアクセントは完璧だった。ロンドンの労働者階級特有のコックニーを話していたなんて想像もできないほど、彼のキングズは流暢だ。だがふとした時にその訛りが出ることもある。私と二人きりの部屋で誰かの愚痴を話す時だ。その単語の羅列は美人な彼の口から出てきたとは思えないくらいの下品さだった。

「鴇子・萩宮。いや、これからは鴇子・ブランドーか?お前みたいな素晴らしい女を妻にできて俺は幸せ者だな」
「ふふ、私と結婚できて幸せ?それほんとに思ってる?」
「もちろん」

薬指を飾る婚約指輪に口付けを落として笑う。私の苗字が変わることであの女との接点が一つ消えるというのは喜ばしいことだったが、一番の幸福はディオ・ブランドーのものになると言うことだ。だが彼は何かに忙しいようで、私と会っている時も顎に手を当てて何かを考えているようなそぶりをすることがある。
そして二十歳のあの日、彼の住んでいるジョースター家が燃えたことを知った。私は彼の無事を祈って、使用人を振り払いジョースター家へと走った。